貧乏だけど中学受験〜しました2023〜

共働き子沢山家庭。長女・桜子を中学受験させるか悩みつつ、奮闘したブログです。3年生9月から日能研通塾し見事合格しました!

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【日能研5年生社会】5~6回の歴史ごろ覚え

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明日の育成テスト(5~6回)の歴史の範囲は、平安時代です!
前半(第5回)は藤原貴族の台頭~栄華まで、後半(第6回)は武士の台頭から鎌倉幕府設立まで。
平安時代の最初から最後までと一時代のみではありますが、400年ありますからね。
てんこ盛りです!

今回も役立ちそうなごろ覚えをまとめてみました。
※あくまで日能研5年生歴史カリキュラムに準じています
前回の範囲はこちら↓
binbojuken2023.hatenablog.jp

第5回の出来事と年号ごろ覚え

第5回は藤原北家の台頭と貴族文化、平安時代の宗教についてです。
テキストに年号が載っているもの、載っていないものどちらも載せてますので、暗記させるかどうかの判断はお任せします!

★【784年】桓武天皇が長岡京へ遷都

ごろ覚えはあるにはありますが、「平安京遷都の10年前」で覚えておけばOK。
年号よりも、「なぜ長岡京へ遷都したのか」、「なぜたった10年でまた遷都したのか」、を押さえておくことの方が大事!

★【794年】桓武天皇が平安京へ遷都

「鳴くよ(794)うぐいす平安京」
言わずと知れた日本一(?)有名な年号語呂合わせ。

★【797年】坂上田村麻呂、征夷大将軍になる(年号記載なし)

「泣くな(797)田村麻呂、征夷大将軍!」
清水寺を建てたのは坂上田村麻呂です。また、のちに薬子の変(平城太上天皇の変)を収めたのも田村麻呂です。この時代のヒーローですね。

★【805年】最澄が唐から帰国し、天台宗を開く

「やれご(805)苦労、最澄さん」
最澄も空海も唐に渡ったのは804年です。たった1年で帰国した最澄です。

★【806年】空海が唐から帰国し、真言宗を開く

「空よ晴れろ(806)真言宗!」
最澄より遅れること1年後に帰国。しかし、空海の方がしっかり密教を学んで帰ったため、のちに最澄は空海に弟子入りします。そののちお経を貸してもらおうと願いますが断られたり、愛弟子をとられたりした最澄は空海と決別しますw空海は弘法大師だったり、三筆の一人だったりします。

★【858年】藤原良房、人臣で初の摂政に

「箱は(858)作った、摂政良房」
「史上初」は聖徳太子です。「人臣で初」が良房です。

★【887年】藤原基経、史上初の関白に

「母泣(887)いて喜ぶ関白基経」
基経が史上初の関白であることは間違いないですが、いつ「関白」になったかには諸説あります(880年、884年説あり)。2代目関白は息子の忠平。

★【894年】菅原道真が遣唐使を停止する

「白紙(894)に戻そう遣唐使」
「吐くよ(894)ゲロゲロ遣唐使中止」

ちゅりぷ子は上で、桜子は下で覚えてます(した)。子どもってこーゆー語呂合わせ好きよね~。

★【901年】菅原道真、大宰府へ左遷(昌泰の変)

「暮れ行(901)く道真、大宰府左遷」
「大宰府に左遷しないでくれい(901)道真」

讒言で陥れたのは藤原時平(基経の子、忠平の兄)です。その後、道真の怨霊に殺されたとされています。

★【907年】唐が滅亡

「先は暗えな(907)唐滅亡」
隣国の時代の変わり目は覚えておくと便利です。

★【1016年】藤原道長、摂政になる

「遠い昔(1016)の摂政道長」
藤原摂関家、栄華のピーク。道長は翌年、息子の頼通に摂政の位を譲ります(早っ!)。
そして、道長は関白には一度もなっていないのでご注意。

★【1053年】平等院鳳凰堂の完成

「人はゴミ(1053)!?平等院鳳凰堂完成」
場所は京都の宇治。建てたのは藤原頼通です。ちなみに浄土教が流行るきっかけとなった「末法思想」での「末法元年(この世の終わり一年目?)」は1052年とされていたので、1年間に合わなかった計算ですw

第6回の出来事と年号ごろ覚え

第6回は、院政と武士の台頭、武士政権への移行についてです。
時代は多少前後しますが、テキストにのっとり分けております。

★【935年】承平・天慶の乱スタート(平将門の乱)

「くみこ(935)びっくりまさかの乱!」
ちゅりぷ子が小学校の時から愛用している語呂合わせです。将門がなろうとしたのは「親王」ではなくて「新皇」なので注意。

★【939年】藤原純友の乱(年号記載なし)

「臭く(939)てたまらん、純友の乱」
平将門の乱と合わせて承平・天慶の乱と呼びます。2人の乱が重なったのはたまたまだったそうです。

★【1051年】前九年合戦(前九年の役)

「一応合意(1051)した前九年合戦」
「安倍氏にドスコイ(1051)前九年の役」

人間関係がややこしいですね。安倍氏(地方豪族の反乱)VS源頼義(朝廷から派遣)+清原氏の戦いです。安倍氏が「阿部」や「安部」「阿倍」と間違えないように注意です。ちなみに唐から帰れなくなったのは阿倍仲麻呂です。この安倍氏は安倍晴明・安倍晋三と同じアベです。

★【1069年】延久の荘園整理令(年号記載なし)

「登録(1069)しなおそ!延久の荘園整理」
後三条天皇によって行われた荘園整理令です。この整理令より摂関家の荘園も整理の対象となったのがポイントです。藤原家のパワーを減退させ、その後の院政期隆盛へとつながります。

★【1083年】後三年合戦(後三年の役)

「とうとう破産(1083)だ源義家、ござんねん」
清原氏の内紛を源義家(源頼義の子)が収める。ポケットマネーで恩賞を払い、武士たちの支持を集め、東国と源の結びつきを強めました。ポケットマネーで恩賞を払ったことと「破産」をかけて覚えると◎。

★【1086年】白河上皇、院政を始める

「一応やろう(1086)院政スタート」
堀河、鳥羽、崇徳天皇に対して院政を行いました。

★【1124年】中尊寺金色堂の完成

「人々に喜(1124)び与える金色堂」
場所は奥州平泉。中尊寺を建てたのは藤原清衡です(後三年の役で棚ぼたで奥州の地をゲットした清原清衡です)。金色堂は二代基衡の頃完成。

★【1156年】保元の乱

「崇徳院、怒っていい頃(1156)保元の乱」
崇徳上皇が怒って開始!と覚えるといいと思います。実際に崇徳上皇はずっと不遇で可哀そうな人物です。この戦いで弟・後白河天皇に負けて讃岐に流されますが、その後も悲惨でとうとう最後は怨霊になりました。

★【1159年】平治の乱

「人々ご苦労(1159)平治の乱」
保元の乱から3年後で覚えてもOK。清盛と義朝の恩賞の差がきっかけとされています。清盛の留守の隙をついて勃発!しかしスピード帰宅?した清盛の完全勝利で幕を引きました。清盛一強の時代が到来します。

★【1167年】平清盛、太政大臣になる

「いい胸毛(1167)の清盛さん」
平清盛が武士として初の太政大臣に!ちゅりぷ子が小学生の時からこの語呂合わせで覚えています。桜子もお気に入りw
ちなみに「平家にあらずんば人にあらず」と言ったのは清盛ではなく、妻の弟の時忠です。

★【1177年】鹿ケ谷の陰謀(年号記載なし)

「いいな、何(1177)でも話せる鹿ケ谷」
この陰謀がバレて後白河法皇は清盛に幽閉されてしまいます。後白河法皇の院政がストップした隙に清盛は孫である安徳天皇を即位させます。

★【1180年】以仁王の挙兵(治承・寿永の乱の開始)

「いい、やれ(1180)!と平氏打倒の号令」
治承・寿永の乱(源平合戦)の始まりです。以仁王は後白河法皇の息子、安徳天皇の即位が気に入りません。源頼政と平氏打倒に燃えて立ち上がりました。すぐに殺されてしまいますが・・・。この挙兵を受けて、伊豆に流されていた源頼朝や木曽の義仲も立ち上がります。

★【1181年】平清盛が死ぬ

「ひと一倍(1181)死にたくなかった清盛さん」
治承・寿永の乱勃発からわずか1年にして、清盛死去。人一倍死にたくなかったと思いますよそりゃ。おかげで平氏は滅亡への道を進んでいきます。

★【1185年】壇ノ浦の戦いで平氏滅亡

「壇ノ浦、いいやこ(1185)れから、源氏の世」
壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼしたのは、頼朝の弟・義経です。当時8歳?だった安徳天皇も三種の神器とともに壇ノ浦に沈みました。同年、戦を弟に任せていた頼朝は守護・地頭を全国に配置します。

★【1189年】奥州藤原氏の滅亡(頼朝の奥州平定)

「義経死亡のいい役目(1189)をありがとう!」
平家滅亡の立役者だった義経でしたが、頼朝に疎まれ、奥州藤原氏を頼って逃げます。しかし、かくまってくれた藤原秀衡(奥州藤原氏3代目)が死亡。息子の泰衡は義経を自殺に追い込み首を頼朝に引き渡します。そんな「いい役目」を果たした泰衡に対し頼朝は奥州藤原氏ごと滅ぼしてしまうのです。

★【1192年】源頼朝が征夷大将軍に

「いい国(1192)作って頼朝さん」
本科テキストにも載っていますが、かつては「いい国つくろう鎌倉幕府」で覚えていました。
しかし、1192年は源頼朝が征夷大将軍になったという年で、幕府づくりはそれよりももっと前から行われていたわけです。まあ、この前後で鎌倉時代が幕を開けます。

他にもある!平安時代のごろ覚え

上記流れを押さえるためにもやっぱりごろ覚えがおすすめです!

平安初期の仏教ごろ覚え

ひえ天才高野豆腐の真空パック」

ひえ:比叡山延暦寺
天才:天台宗・最澄
高野:高野山金剛峯寺
真空:真言宗・空海

ですね。
延暦寺と金剛峯寺は覚えるしかないですね・・・。
漢字暗記がとんでもないことになってますね。

藤原北家の覚えておくべき人物6人

藤原北家台頭のため他氏排斥事件(菅原道真左遷など)を起こしまくったのが、こちらの6名。

  は もっ   さね ば!!」

・不…冬嗣<初代蔵人頭。藤原北家隆盛の礎を築く>
・良…良房<冬嗣の子。人臣初の摂政>
・もっ…基経<良房の養子。史上初の関白>
・と…時平<基経の子。菅原道真を讒言で左遷させ、呪い殺される?>
・正…忠平<時平の弟。史上初、摂政から続けて関白になった。平将門が仕えていたこともある>
・さね…実頼<忠平の子。外祖父でなくして摂政・関白に(弟・師輔が外祖父)あまり実権がなかったとされる>

注意点は、基経は良房の子ではなく養子です。
そして道長は実頼の直系ではなく、実頼の弟・師輔の孫です。
平安時代は藤原まつり開催中ですが、道長・頼道親子の前はこの6人を覚えられたら藤原摂関家は完璧です(中学受験にはオーバースペック?)。

保元・平治の乱の「藤原氏」

平安時代後期のややこしいところナンバーワンは保元・平治の乱じゃないでしょうか?
誰と誰が対立しているのか全然覚えられなーい、となった記憶があります。
天皇家や武家はまだマシなんですが、一番覚えられないのが藤原さんたち!
でも、語呂ではないですが、覚えるコツがちょとあります。

保元の乱:(勝ち)藤原忠通 VS(負け)藤原頼長
平治の乱:(勝ち)藤原通憲(信西)VS (負け)藤原信頼

勝った側の藤原さんには必ず「通」がついており、負けた方には必ず「頼」がついてるんですよ。
なので、

「通って勝った、頼って負けた」

で覚えるのがおすすめです。
まあこれでは一字しか覚えられないんですけども。
ちなみに同じ藤原ですが、保元の乱は「摂関家」の兄弟対決(勝ったのが兄)。
平治の乱は後白河上皇を挟んでの「院の近臣」としてのライバルです。
ややこしいですが、保元の乱は「天皇家」の兄弟対決では弟・後白河が勝っております。
やっぱりややこしや。

(余談)平安時代は祟る人物がたくさん出てくる!

・早良親王
・平将門
・菅原道真
・崇徳院

今回の範囲、平安時代で名前の登場した4人です。
共通点分かります?
全員怨霊になって人を呪ったりしてるんですよw
早良親王以外は「日本三大怨霊」とも呼ばれています。
怨霊と呼ばれ恐れられ、のちに御霊信仰として神様になってまつられているんですね~。
どの人の事件も当時の世の中にものすごいインパクトを与え、その後の災害をはじめとした厄災に恐れおののいたことがうかがえます。

ごろ覚えも漫画も有効活用していきたい

平安時代、奈良飛鳥をはるかにしのぐボリュームですね。
大人でも難しいと感じる人が多いはず。
ごろ覚えなんかも活用しつつ、乗り切るしかないです。

でも、好きになってしまえばこっちのもんです。
歴史好きオバサンちゅりぷ子のおすすめはマンガ!
以前もまとめましたが、
binbojuken2023.hatenablog.jp
この時代、素敵な漫画が多いです。

『応天の門』

少年時代の菅原道真が主人公!
藤原北家の他氏排斥が彼の目を通して描かれます(いずれは彼も??)!
在原業平(恋人の藤原高子は基経の妹)とコンビを組みます。
絵がきれいですが、内容は一部小学生にはちょっと早いかもなのでご注意。
親が藤原北家の台頭をばっちり理解するには良いです◎

『阿・吽』

平安時代、密教導入の顛末を知るにはうってつけの漫画があります↓

こちらは最澄と空海が主人公。
桓武天皇、平城天皇、嵯峨天皇、薬子、冬嗣なんかも登場します!
仏教への考え方だけでなく、平安時代の初期の動きがとてもよくわかります。
・・・がこれまた大人向けなのでご注意を。
上記2冊は、中学受験は親が読んで勉強するにはぴったり。
大学受験の際、日本史の役には必ず立ちます。

『りょう』

源平合戦を漫画で親しむなら、『りょう』が一番おすすめです!
小学生でも読めると思います。
主人公はタイムスリップした女子高生。
源義経となって、この時代を弁慶とともに歩みます。
弁慶が恋のお相手ですw
設定はともかく、中身はなかなか良く勉強になりますよ。

あとは、暗記用の本も使ってみるのも一つかと。

お風呂ポスターもおすすめです。