貧乏だけど中学受験〜しました2023〜

共働き子沢山家庭。長女・桜子を中学受験させるか悩みつつ、奮闘したブログです。3年生9月から日能研通塾し見事合格しました!

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【日能研5年生社会】9~10回の歴史ごろ覚え

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今週末の育成テスト(9~10回)の歴史の範囲は、室町後期~安土桃山時代です。
第9回は応仁の乱から戦国時代突入まで、第10回は安土桃山時代の三英傑の話から家康が江戸幕府を開くまで。
気が付きましたか?第10回でちょうど5年生後期の歴史も折り返しなんですよ!
しかし後半たっぷり使って江戸&近代をやるわけですね。
小学生にとって近代は難しいんですよね~。
どうなることやら。

さて、今回も役立ちそうなごろ覚えをまとめてみました。
※あくまで日能研5年生歴史カリキュラムに準じています
前回の範囲はこちら↓
binbojuken2023.hatenablog.jp

第9回の出来事と年号ごろ覚え

第9回は主に応仁の乱と一揆と南蛮貿易についてです。
年号はそんなに覚えるものはないですね。
約100年ぐらいですが、ずっと戦ばっかりの戦国の世です。
テキストに年号が載っているもの、載っていないものどちらも載せてますので、暗記させるかどうかの判断はお任せします!

★【1467年】応仁の乱が始まる

「人のを読むな(1467)応仁の乱」
「ひとよむなしく(1467)応仁の乱」

上のごろ覚え、ちゅりぷ子の中学受験から使ってきました。
なんで「人のを読むな」だったのかもう忘れちゃいましたが(4コマ漫画付きのごろ覚え本でした)、桜子もなぜかこっちで暗記しています。
応仁の乱は8代将軍義政の跡継ぎ問題がきっかけで起こった乱です。
義政は息子ができなかったことから跡継ぎを弟(義視)に決めてしまいます。
しかし、妻である日野富子との間に翌年男の子が誕生(義尚)、どっちが継ぐかで揉めに揉めることに・・・。
もうこの弟と息子どっちが継ぐので揉める歴史問題多すぎですよね・・・。
古くは壬申の乱から(弟の大海人皇子が勝利)、桓武天皇平安京遷都問題(弟の早良親王憤死)。
どれもきっかけは「弟に譲るね!」って言ってたくせにあとから「やぱむちゅこたんに譲る!」ってなるせいですよ。
息子の方がそりゃかわいいわけですよね。

この跡継ぎ問題に、力をつけてきていた守護大名たちの勢力争いや家督問題(どこも一緒だな!)が絡み、東軍西軍に分かれて大騒乱。
東軍が細川勝元、西軍が山名持豊(宗全)です。
最初は東軍が義視派、西軍が義尚派です。
ところが途中でこれ、入れ替わります(ややこしすぎ!)。
途中から、東軍が義尚派、西軍が義視派。
細川勝元は管領、山名持豊は一守護大名です(娘婿・舅の間柄なんですこの2人・・・)。
ここに畠山氏や斯波氏の家督争いも絡んで、もうどっちがどっちだかわけわかんなくなっちゃうのが応仁の乱ですw
戦は11年間続きました。
義視が途中で西軍に走るなど、ほんとにカオス。
乱の途中で勝元も持豊も死去。
最終的に将軍職は義尚(9代)が継ぐことになります。
ここから戦国時代が約100年続きます。

★【1485年】山城の国一揆が起こる

「意思、箱(1485)に詰めて戦う、山城の国一揆」
室町時代三大有名一揆の一つ、山城の国一揆(あとは正長の土一揆・加賀の一向一揆)。
山城国は京都の南部です。
主体となる人たちが、土民(農民)の場合は「土一揆」、国人(在地領主・地侍)の場合は「国一揆」、一向宗徒の場合は「一向一揆」です。
ただ、山城国一揆は国人だけではなく、惣の農民も多く参加しています(そういう場合は惣国一揆とも呼びます)。
守護大名畠山氏を排除し、約8年間自治を行いました。
この一揆もきっかけは応仁の乱以降ずっと続いていた畠山氏の家督争いからです。
応仁の乱は日本各地に乱世を呼んだきっかけになっていますね。

★【1488年】加賀の一向一揆が起こる

「意思羽ば(1488)たく、加賀の一向一揆」
山城国一揆から5年後、加賀では一向宗徒による一向一揆が起こりました。
一向宗とは浄土真宗のこと。
加賀(現石川県)の守護大名の一向宗弾圧に対し、抵抗したことで起こった一揆です。
一向宗の信徒といっても中身は農民です。
その農民たちが宗教の団結力の元起こした一揆で、大名を追いやり、信長に弾圧されるまでの約100年間自治をしました。
この加賀の一向一揆以降、各地で一向一揆が起こり、大名たちは手を焼いたのです。
信徒をむやみに殺すと「仏罰」がおそろしいですからね・・・。
一向宗の本拠地は石山本願寺です。
場所は大阪。信長による石山合戦で寺が明け渡された後、秀吉が跡地に大阪城を建てました。

★【1489年】足利義政、東山に銀閣を建立

「意志薄弱(1489)の将軍義政」
足利義政は政治や戦ではなーんにも活躍してない印象ですが、文化の発展の面では活躍しています。
禅の精神からくる簡素さ、幽玄・わび・さびといった新しい美意識がこのころ盛り上がります。
義政が応仁の乱で燃えちゃった花の御所を離れ、京都内を転々と移り住み、最終的に東山に移り住むのは1483年のことです。
銀閣が完成するのはそれから6年後の1489年です。

★【1543年】鉄砲の伝来

「以後予算(1543)がかかるよ鉄砲伝来」
ポルトガル人が種子島に漂着し、鉄砲が伝来しました。
鉄砲は買うにも作るにもお金がかかりますからね、予算がかかると覚えてみてもいいかと。
鉄砲のことを「種子島」と呼ぶことがあるのはこのためですね。
なぜ最初にポルトガル人がやってきたかといえば、ポルトガルとスペインが大航海時代のさきがけの国だったからですよね(立地が悪く地中海貿易に参戦しづらかった)。
なので、ポルトガルに続いてスペインのザビエルがやってくるわけです。
ポルトガル人とスペイン人のことを「南蛮人」、そのあとにやってきた主にオランダ人、その他ヨーロッパ人(イギリス人など)のことを「紅毛人」と呼んで区別したそうですよ。
そんなこんなで南蛮貿易がスタートします。

★【1549年】キリスト教が伝わる

「以後よく(1549)広まるキリスト教」
スペインの宣教師であるフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、キリスト教が日本に伝えられました。
南蛮貿易はキリスト教の布教とセットでした。
ザビエルはイエズス会宣教師です。
イエズス会を母体とするミッションスクールは現在日本に複数ありますね。
上智大学、栄光学園、広島学院、六甲学院、エリザベト音楽学院などです。
上智大学の横にある聖イグナチオ協会もイエズス会のものです。

第10回の出来事と年号ごろ覚え

第10回は三英傑の登場するザ・戦国時代!
ここが大好きな子も多そうですね。
ちゅりぷ子も「信長の野望」にかつてハマったほど大好きな時代です!!
ただし、ざっと40年ほどですが、覚える年号がてんこ盛りです(;^ω^)

★【1560年】桶狭間の戦い

「いちころOK(1560)すごいぞ桶狭間」
織田信長が今川義元を破った戦いです。
場所は愛知県。
信長天下布武への第一歩となった戦いですね。

★【1568年】足利義昭、15代将軍になる

「以後牢屋(1568)な人生、将軍義昭」
13代将軍足利義輝は武芸も達者な人でしたが、まさかの暗殺。
阿波にいた14代将軍義栄が立てられれますが、なんと京都に入れない(将軍なのに・・・)。
そこで当時すでに実力者になっていた信長が義昭(義輝の弟)を助け入京させ、15代将軍にさせます。
まあそんなわけで義昭は信長に頭が上がらない将軍となるわけです(以後牢屋のような将軍御所)。
義昭は信長の言いなりになるのに不満を抱えていきました。

★【1571年】比叡山の焼き討ち

「以後無い(1571)仕打ち、比叡山焼き討ち」
信長といえばこれ!という印象的な出来事。
天台宗の総本山、比叡山延暦寺。
その比叡山を山ごと焼いて、老若男女問わず皆殺しにします。
今まで時の権力者が手を出せずに困っていた聖域(言うこと聞かずやりたい放題でした)。
僧兵にはどんなに強い武士だって手を出せませんでした。
だって殺したら仏罰が下るから。
「そんなの関係ねー!」とやった信長はやっぱりクレイジーだし、だからこそ強かったんだと思いますね~。
開祖の最澄はどう思ったんでしょうねw

★【1573年】足利義昭、京都から追放(室町幕府の滅亡)

「義昭追放!以後波(1573)に乗る織田信長」
義昭は入京から数年後、やっぱり義昭は信長とそりが合わず、周囲の大名たちに「みんなで信長を討とう☆」と呼びかけます。
2人の対立は決定的なものに。
そしてまんまとその作戦は失敗し、京都から追放されるのです(室町幕府の滅亡)。
ただ、将軍職は1588年まで続けています(15年ぶりに京都に戻って将軍職を返上したそう)。
尊氏(1338年)から始まった足利将軍家はちょうど250年でおしまいとなったのです。

★【1575年】長篠の戦い

「人粉ごな(1575)なに、長篠の戦い」
場所は愛知県東部。
戦ったのは織田信長と武田家です。
この戦の特徴は織田軍が鉄砲を使って勝った点ですね。
もし武田信玄が生きていたらどうだったんでしょうかね。

★【1576年】安土城築城・楽市楽座の実施

「行こー!なろー!(1576)安土城」
武田氏を破り、勢いづく織田信長です。
天下統一まであと少し。
安土城を琵琶湖のほとりに築城しました。
その城下や各支配地では楽市楽座を始め、商人たちがたくさん行きかう街づくりを推進します。
「楽」とは自由という意味で、楽市=自由な市場、商人たちが自由に商いできるようにしたのです。
「座(同業者組合)」による独占を禁じたため「楽座」とつきます。
信長は他にも関所を排したり、キリスト教の布教を許したり、先進的なことを様々行っていきます。

★【1570~80年】石山合戦

「以後なれ(1570)覇王(80)に織田信長」
一向宗の総本山、石山本願寺。
なんと10年かけて倒します(しぶとい)。
何人のお坊さんや信徒を殺したのかな?
仏罰をも恐れぬ男織田信長、覇王の名にふさわしいですね。

★【1582年】本能寺の変(&山崎の戦い)

「いちごパンツ(1582)!敵は本能寺!」
もう「いちごパンツ」で覚えるしかない本能寺の変。
天下統一を目前にした覇王信長を倒したのは家臣の明智光秀です。
しかし、明智光秀が天下を取ったのはほんの少し(「三日天下」の由来ですね)。
毛利攻めをしていた豊臣秀吉が「中国大返し」でものすごい速さで戻ってきて、明智光秀を討ちます。
山崎の戦い、天王山の戦い、などと呼ばれています。
そこから「天王山」とは今では「勝負の分かれ目」なんてときに用いられるんですね~。
中学受験生で6年生の夏は「天王山」なんて言いますよね。

この1582年ですが、「本能寺の変」、「山崎の戦い」だけでなく秀吉による「太閤検地」も始められた年です。

★【1583年】秀吉が大阪城築城

「以後闇(1583)を照らすよ大阪城」
さて、石山合戦でなくなってしまった石山本願寺跡に秀吉は大阪城を築城します。
天守閣が完成するのは1585年です。
この1583年はもう一つ大きな出来事がありました。
それが、柴田勝家との戦いである「賤ケ岳の戦い」です。
織田家の古参家臣である柴田勝家は、織田信長のあとを継ぐ者として、秀吉と勢力を二分していたとも言われています。
そんな二人の対決。
勝ったのはもちろん秀吉でした。
こうして信長の後継者は秀吉ということになったのです。

★【1584年】小牧・長久手の戦い

「いー肥し(1584)になる小牧長久手」
秀吉が天下人になろうとするのに納得いかない人はまだまだたくさんいました。
その筆頭であったのが信長次男の織田信雄。
徳川家康とともに「秀吉包囲網」を作り挑みます。
まあ実態としては家康VS秀吉です。
各地で散々戦いますが、決着はつかず。
最終的には講和して終わりました。

★【1585年】豊臣秀吉、関白になる

「以後はご(1585)立派!関白秀吉」
秀吉は関白になります。
実は武士で関白になったのは秀吉が史上初です。
関白は藤原摂関家から出すという慣わしだったからです。
秀吉の後に関白になった武士もたった一人だけ(甥で養子の豊臣秀次)。

同年、大阪城も完成します。
紀伊平定と四国平定も同年です。

★【1586年】豊臣秀吉、太政大臣になる

「関白就任の翌年」で覚えればいいと思います。
関白就任の翌年、最高位である太政大臣になります。
でも秀吉は征夷大将軍にはなりませんでした。
一説には出自のせいでなれなかったとも言われていますが、どうなんでしょうね。

★【1587年】バテレン追放令を出す

「以後やな(1587)対応キリスト教」
信長は布教を許していたキリスト教でしたが、秀吉は禁止します。
以降はたびたび迫害に遭う(嫌な対応される)キリスト教です。
バテレンとはキリスト教宣教師を指します。
パードレ(神父)からきてるのかな?

同年、九州平定もします。

★【1588年】刀狩令を出す

「以後は刃(1588)が無し刀狩」
続いて秀吉は刀狩令を出します。
農民から武器を奪い、団結して一揆などを起こさないようにしたのですね。

★【1590年】小田原の北条氏を滅ぼし、秀吉が天下統一

「一国丸(1590)めて天下統一」
奥州平定後、とうとう小田原の北条氏を倒し、秀吉が天下を統一します。

★【1592年】文禄の役

「異国に(1592)出兵!文禄の役」
天下統一すると領土を拡大したくなるのでしょうか?
秀吉は続いて朝鮮半島を攻めていきます。
異国のため、敵の首を持って帰られないため、耳と鼻を代わりに削いで持って帰ったとか・・・。
京都には今もそれを祀る「耳塚」が残っています。

★【1597年】慶長の役

「以後来んな(1597)と言われた慶長の役」
秀吉の朝鮮出兵は2回行われます。
2度目は1597年の時でした。
翌年秀吉が死去したため、朝鮮半島から日本軍が引き揚げ、慶長の役は終了します。

2回の朝鮮侵略を合わせて「異国に(1592)以後来んな(1597)!」で覚えるといいでしょう。
文禄と慶長がどっちが先だかわからなくなったら、元寇と同じで「文」が先!と覚えてみては(ちゅりぷ子はそーやって覚えてました)。

★【1600年】関ヶ原の戦い

「ヒーローわーわー(1600)関ケ原」
天下分け目の大戦、関ケ原の戦いです。
年号は覚えやすいですね。
東軍が徳川家康、西軍は石田三成です。
場所は関ケ原、岐阜県です。
新幹線で名古屋から京都へ向かう時に通る場所のイメージです(ちゅりぷ子的には)。
冬場に通ると、いつも雪が積もっていますね。
盆地なので寒いのでしょう。
実は壬申の乱(672年)も関ケ原で起こったと言われています。
天下分け目の戦いが二度も・・・、何かある場所なんでしょうかね。

★【1603年】徳川家康が征夷大将軍になる(江戸に幕府を開く)

「ヒーローおっさん(1603)徳川家康、将軍に」
関ケ原の戦いから3年後、徳川家康が征夷大将軍になり、江戸に幕府を開きます。
将軍就任からわずか2年後、息子の秀忠に将軍職を譲ります。
これは「将軍職は徳川家でやってきまーす!」のアピールですね。
豊臣側には残された秀吉の子秀頼がいました。
関ケ原の戦いで負けたのはあくまで石田三成だったため、秀頼の成人後は豊臣家に天下を取り戻そうという動きもありました。
それが阻まれた形です。

今回の範囲はここまで!
いやー10回の年号、多すぎ!!
順番を覚えておかねばです。

漫画で親しむのも一つ!

この戦国時代は、多くのエンタメ作品で描かれています。
大河でも、幕末と並んでさんざんやりつくされている時代ですね。
今の大河の一つ前『麒麟がくる』も親子で見ていました。
小説や漫画やドラマにたくさんなっている時代です。
人物像や歴史の出来事の流れを知るにも漫画などはとても分かりやすくて、また記憶に残りやすくておすすめです。

応仁の乱の時代の漫画

応仁の乱はほんと理解するのが難しいんですよね~。
たくさんの人物が絡みますし、その思惑も様々。
漫画で理解するのもひとつです。
応仁の乱を描いた漫画は少なめですが、次のようなものがあります。

学習マンガ日本の歴史(9)/講談社

まんが日本の歴史は短くまとまっているのでざっと流れをさらうのにぴったりです。
各社色々出ていますが、桜子に買い与えた講談社のものは実はちょっと画期的なのです。
日野富子が悪女に描かれていないんです。
いつも悪女に描かれがちな日野富子が悪女ではなく賢い女性として描かれています。
この姿の方が最新の学説に近い形なんだそうですよ。
講談社の学習漫画日本の歴史、おすすめです!

『新九郎、奔る!』

こちらは北条早雲が主人公の漫画です。
応仁の乱の様子がよくわかりますよ!
また乱の前や、乱の後の話もよくわかるはず。
応仁の乱がこの時代の人たちにどう影響を与えたのか。
ただし、まだ連載中で現在8巻まで出ており完結しておりません。いつか北条早雲、大河化してほしい!

『マンガ応仁の乱』

こちらは1冊ですみますが、お勉強色が強め。
ただ、主要人物別に描かれているので、それぞれの考えや思惑などがよく理解できるはず。

安土桃山時代の漫画

続いて安土桃山時代。
主に信長を描いた作品が多いかな?
無数にあるんですが、おすすめを3冊挙げてみます。

『イシュタルの娘』

以前も紹介しましたが、ほんとにこれがおすすめ!
大和和紀先生の確かな画力で、この時代がよーくわかること請け合いです。
信長、秀吉、家康と三英傑全員と主人公が絡んでいくので、歴史の勉強にはもってこいです。
完結済みです(ただし全16巻(;´Д`))!
女性目線でこの時代を見る、というのがいいですね。
こちらも、女性主人公で大河化してほしいなと思っています(*^^*)

『信長協奏曲』

これまた以前紹介しましたが、信長の時代を現代人目線で感じられる傑作。
ドラマ化もされた人気作ですね。
現在21巻まで出ています。
これまた長いのが難点です。
そしてまだ完結していません。

『逆説の日本史 戦国三英傑偏』

最後はこちら。
さくっと、信長秀吉家康について学ぶならこちらもおすすめ。
ちょっと大人向けかな?

ごろ覚え本やドリルも有効活用していきたい

今回もなかなか覚える量が多い回でしたね。
戦国時代なので得意な子とそうでない子の知識量の差がとんでもないことになってそう(;^ω^)
漫画やごろ覚えも使いつつ、しっかり暗記したいところです。

暗記用の本やドリルも使っていきたいです。

今回は年表状になっているお風呂ポスターが大活躍しそうです。
順番並び替え問題とか出たりするのかな・・・。