貧乏だけど中学受験〜しました2023〜

共働き子沢山家庭。長女・桜子を中学受験させるか悩みつつ、奮闘したブログです。3年生9月から日能研通塾し見事合格しました!

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【日能研5年生社会】13~14回の歴史ごろ覚え

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今週末の育成テスト(13~14回)の歴史の範囲は、江戸時代中期~明治初期です。
第13回は江戸の3大改革、第14回はお待ちかね?の幕末&明治維新です。

さて、今回も役立ちそうなごろ覚えをまとめてみました(一部本科テキストや栄冠に載っていないものも含まれています)。
※あくまで日能研5年生歴史カリキュラムに準じています
前回の範囲はこちら↓
binbojuken2023.hatenablog.jp

第13回の出来事と年号ごろ覚え

第13回は江戸の三大改革&農業・商業の発達でした。
時期的には前回第12回の文化が間に入ってくる感じです。

★【1680年】徳川綱吉が5代将軍となる

「ヒーローはオレ(1680)様、徳川綱吉」
綱吉は3代家光の四男でした。
家光の長男家綱が4代将軍になるも男子を残さずこの世を去ります。
家光の三男は既に他界していたため、綱吉にお鉢が回ってきました。
徳川綱吉は犬公方のイメージが強いですが、前半は良い政治を行ったと言われており、「天和の治」と呼ばれています。

★【1685年】生類憐みの令が出される

「ヒーローハチ公(1685)生類憐みの令」
犬公方の名前はこのお触れのせいですね。
生類憐みの令も近年では見直されてきています。
ちょうどこの綱吉の時代に上方では元禄文化が花開きました。
綱吉も世継ぎができず、家光の三男・綱重の子(綱吉の甥)が6代将軍家宣になりました。
家宣は将軍就任後、即生類憐みの令を取りやめたそうですよw

家宣は将軍就任後わずか3年で他界。
子供の家継が幼くして7代将軍につくも、こちらもたった4年で他界(わずか7歳)。
家宣・家継のころ政治を補佐していた一人が新井白石で、この頃の政治を「正徳の治」と呼ばれます。

★【1716年】8代将軍吉宗による享保の改革スタート

「非難の色(1716)なし、享保の改革」
さあ、そして8代将軍に迎えられたのが御三家の一つ、紀伊藩の藩主だった吉宗です。
元々は紀伊家の4男です。
まさか自分が将軍になるなんて思ってもみなかったでしょうね。
吉宗は家康のひ孫にあたります。
米将軍とも呼ばれた吉宗が行ったのが「享保の改革」です。
質素倹約を掲げ、さまざまなことに取り組みました。
そして、「三大改革のうちで唯一成功した」と言われています。

  • 足高の制
  • 上げ米の制
  • 新田開発
  • 町火消し「いろは四十七組」
  • 目安箱の設置
  • 公事方御定書
  • 漢訳洋書輸入制限を緩和

★【1732年】享保の大ききん

「人並みに(1732)ごはん食べたい、享保の大ききん」
成功したといわれる享保の改革ですが、改革真っ最中(吉宗の治世中)に大ききんが起こります。
きっかけは西日本を襲ったイナゴの被害でした。
それが全国に広がり、大不作により大ききんが起きます。
その影響で江戸では米価が高騰し、翌年「享保の打ちこわし」が起こりました(江戸時代最初の打ちこわし)。
この享保の大ききんを経験したため、吉宗はききんに強い食べ物としてサツマイモの栽培を青木昆陽に研究させたわけです。
江戸時代は4つの大きな飢饉が起こり、江戸の四大ききんと呼ばれています(寛永、享保、天明、天保)。

★【1772年】田沼意次、老中になる(田沼政治スタート)

「いーな、何(1772)より株仲間」
本科テキストではかなり端折られていましたが、吉宗時代のあとに田沼意次の時代があります。
金持ち優遇政治をし、賄賂がはびこったことで悪名高い田沼意次ですが、世の中を良くしよう、という思いは三大改革の人たちと同じだったと思います。
米にこだわった吉宗でしたが、現金収入にこだわった田沼意次。
彼の政策として有名なの以下です。

  • 株仲間の優遇(公認するかわりに税を取る)
  • 蝦夷地の開発
  • 手賀沼・印旛沼の干拓

★【1782年】天明の大ききんスタート

「稲葉に(1782)聞けよ!天明の大ききん」
なぜ稲葉に聞くのかわかりませんが、1782年から江戸の四大飢饉のうちでも最もひどかったと言われる天明の大ききんが始まりました。
きっかけは東北地方のやませによる冷害続き、からの1783年に起きた浅間山の噴火です。
噴火による降灰と日照不足によりさらなる不作を招き、なんとききんは7年も続きました。
農村部から都市部へ農民が流出、江戸や大阪では打ちこわしが多発しました。
やがて打ちこわしの波は全国へ。

そんなさなか、白川藩は東北地方で唯一餓死者を出さなかったと言われています。
その白川藩の藩主が松平定信でした。

★【1787年】老中松平定信による寛政の改革スタート

「非難止まな(1787)い寛政の改革」
白河藩での手腕が買われ、定信は筆頭老中として幕府に招かれます。
そこで彼が始めたのが寛政の改革です。
定信は実は吉宗の孫でした(もともと11代将軍候補だったんです)。
吉宗の享保の改革をお手本にしたとも言われています。
吉宗を手本に超・質素倹約を世の中に強い、農村復興に尽力ました。
他にも徳川幕府の威信を取り戻そうとした政策も行いました。
やった政策は以下。

  • 囲米の制
  • 帰農令
  • 人足寄場の設置
  • 寛政異学の禁

寛政の改革はわずか6年で終了となりました。
あまりに厳しい緊縮政治に、武士ならず庶民までもが反発したそうです。
ただ一番の原因は、11代将軍・家斉とそりが合わなかったためです。
贅沢好きな家斉(奥さんも子供も超いた)は定信の倹約ぶりがほとほと嫌になっていた模様。
わずか6年で解任してしまいました。

この後に続く家斉の時代(贅沢・享楽)に江戸で花開いたのが化政文化です。

★【1808年】フェートン号事件

「オランダの人は追わ(1808)れるフェートン号」
徳川家斉の時代、数々の諸外国が日本近海に表れるようになります。
その代表的な事件がフェートン号事件。
イギリス軍艦のフェートン号が、オランダの国旗をかかげオランダ船のふりをして長崎港へ侵入。
オランダ商館から食料や、水、薪などを奪った事件です。
ナポレオン戦争の余波が日本にまで及んだということですね。

★【1825年】異国船打払令

「一発ご(1825)めん、異国船打払令」
フェートン号事件を受け、幕府は異国船打払令(外国船打払令)を出します。
日本の沿岸に近づく外国船を無差別に大砲で威嚇して撃退する命令です。

★【1828年】シーボルト事件

「違反には(1828)強い措置です、シーボルト」
諸外国との外交関係に緊張感が走る中、起きた事件。
オランダ商館の医師であるシーボルトがうっかり(?)国外に持ち出すことを禁じられている日本地図を持ち出してしまう、という事件です。
地図を渡した天文学者の高橋景保は斬首、シーボルトは国外追放となりました。
地図が詳細になってきており、国防の観点から外国に渡すというのはとても危険だったのですね。
シーボルトと日本人女性の間に生まれたイネは日本人女性で初めて西洋医学を学んだ産科医として有名です。

★【1833年】天保の大ききんスタート

「いやー散々(1833)な被害、天保の大ききん」
江戸時代最後の大ききんです。
大雨や冷害により東北地方で大凶作が起こり、ききんがスタート。
米価の高騰が起き、各地で一揆や打ちこわしが起きました。

★【1837年】大塩平八郎の乱(&モリソン号事件)

「イヤミな(1837)役人こらしめろ!大塩平八郎」
「浦賀にモリソン、イヤミな(1837)対応」

元大坂町奉行の役人で、陽明学者の大塩平八郎。
天保の大ききんによる米騒動などの役人の対応などに失望し、救民のために立ち上がった乱。
この乱はすぐに収められましたが、元役人が直轄地の大阪で起こした反乱ということで大きな影響がありました。

同年、モリソン号事件が起きています。
アメリカの商船モリソン号が、日本人の漂流民を届けに浦賀沖に現れると、異国船打払令に基づき攻撃されてしまいます。
非武装船への発砲、しかも相手は漂流民を届けに来ていたのです。
この事件により異国船打払令への批判が高まりました。

★【1840年】アヘン戦争で清がイギリスに敗北

「アヘンで負けるなんてイヤよぉ(1840)!」
外国との緊張感が高まっているさなか、隣国の大国・清がイギリスとの戦争でまさかの敗北。
このニュースに対する日本の衝撃はものすごいものだったことでしょう。
おかげで、欧米諸国に対する危機感が高まります。

★【1841年】老中水野忠邦による天保の改革が開始

「人は『良い』(1841)とは言わぬ天保の改革」
天保の大ききんに、大塩平八郎の乱、モリソン号事件、アヘン戦争と国内も国外も情勢不穏で、一刻も早い改革が望まれる中、老中首座の水野忠邦による天保の改革がスタート。
今までで最強の質素倹約を徹底し、その締め付けは庶民にも及びました。
しかし、わずか2年で忠邦は失脚してしまい、改革も終了してしまいます。
天保の改革のおもな政策↓

  • 株仲間の解散
  • 人返し令
  • 上知令

第14回の出来事と年号ごろ覚え

第14回は幕末の動乱&明治維新です。
たった20年間ほどでしたが、13回より年号はたくさん出てきます。
もう毎年のように何事かが起こるので、年号は要所要所のみにして、順番を覚えるのが先決ですね。

★【1853年】浦賀沖にアメリカ人のペリー来航

「開国は、嫌でござ(1853)るよペリーさん」
イギリスとロシアが揉めている隙をついて、アメリカが日本へ開国を求めにやってきました。
有名なペリー(黒船)来航ですね。

★【1854年】アメリカと日米和親条約を結ぶ

「ペリー来航の翌年」で覚えたらいいと思います。
「一年後にまた来る」と言葉を残して帰って行ったペリーはきっちり翌年やってきました。
そして結んだのが日米和親条約です。

★【1856年】下田にアメリカ総領事ハリスが着任

「日米修好通商条約の2年前」で覚えたらいいと思います。

★【1858年】大老井伊直弼が日米修好通商条約を結ぶ

「いやだこわ(1858)いよハリスさん」
ペリーと結んだのは開港し、燃料や食料の補給を約束する和親条約でした。
ハリスが迫ったのは通商の方です。
この条約は「関税自主権がない」や「領事裁判権(治外法権)を認める」など、不平等なものでした。

こんな条約を勝手に結んだとして、大老の井伊は多くの反感を買います。
その反発分子たちをことごとく粛清したのが「安政の大獄」。
橋本左内や吉田松陰も安政の大獄で死にました。
井伊大老はさらなる恨みを買うことになっていきます。

★【1860年】桜田門外の変にて井伊直弼が暗殺される

「井伊をや(殺)ろうぜ(1860)、桜田門外の変」
そして江戸城の桜田門のすぐ外で、井伊直弼は惨殺されます。
それが桜田門外の変ですね。

★【1866年】薩長同盟

「一藩ムリムリ(1866)薩長同盟」
幕末の頃、雄藩だった、薩摩藩と長州藩。
最初は藩の考え方は違いました(薩摩藩は「公武合体」、長州藩は「尊王攘夷」)。
しかし、お互い外国に攻められるという経験(薩摩藩は薩英戦争、長州藩は下関事件)をしたこともあり、新しい日本を作るためには倒幕が必要と、意見が一致しました。
土佐藩の坂本龍馬が仲立ちとなり結ばれたのが薩長同盟だと言われています。
薩摩は西郷隆盛、長州は桂小五郎(後の木戸孝允)です。

★【1867年】大政奉還⇒王政復古の大号令

「一夜むな(1867)しく江戸滅亡」
10月、15代将軍徳川慶喜は、日本国内での内戦を避けるため「大政奉還(政治権力を天皇に返すこと)」を実施。
狙いは、徳川打倒に燃える機運を下げるためでした。
外国ににらまれてるときに日本国内で争いたくなかったことでしょう。
徳川中心に、有力大名が天皇の元集まって合議で政治を決めていきたいと考えていたのです。
しかし、薩長は倒幕を是が非でも行いたかった。
新しい日本を作るのには徳川が邪魔だったのです。
12月、「王政復古の大号令」を出し、江戸幕府を滅ぼしました。

★【1868年】戊辰戦争スタート(五箇条の御誓文&五榜の掲示)

「大政奉還の翌年」で覚えたらいいと思います。
そんなわけで翌年1月、新政府軍VS旧幕府軍の戊辰戦争がスタート。
鳥羽・伏見の戦い⇒江戸無血開城⇒上野戦争(彰義隊結成)⇒東北戦争(奥羽列藩同盟)⇒会津戦争(白虎隊の悲劇)⇒五稜郭の戦い(函館戦争)。
ざっとこんな流れで、幕末ファンには熱いシーンの連続ですが、本科テキストでは超端折られていました(;´Д`)

本科テキストで重きが置かれていたのは、滅びゆく者の戦いシーンではなく、新政府の成立の流れです。
戊辰戦争が繰り広げられている同年、「五か条のご誓文」が発表されました。
一般人に向けては「五榜の掲示」がなされました。

★【1869年】版籍奉還(&東京に遷都)

「人はむく(1869)れる版籍奉還」
「大政奉還から2年後」で覚えてもいいと思います。
函館では五稜郭の戦いがあり、やっと戊辰戦争が終結したこの年。
まずは土地と人民、自治権を天皇にお返しするという「版籍奉還」がなされました。
天智天皇の公地公民以来のこと?です。
ただ、まだ旧藩主が知藩事として運営を任されていました。
籍奉還」と誤字しないよう注意です。
まだ「藩」は続いてました、この時点では。

★【1871年】廃藩置県

「いや~ない(1871)でしょ、廃藩置県」
さあ元藩主、お役御免の時が来ました。
藩を廃止して府と県に分けるという「廃藩置県」が実施されたのです。
中央政府から、府知事や県令が派遣され、取り仕切ることになりました。
幕府も藩も完全に消滅したのです。

★【1872年】学制公布&鉄道開通(新橋⇔横浜)

「人は何(1872)を学ぶべき?学制公布」
『青天を衝け』でも描かれていましたが、とにかく新政府はやることてんこ盛りです。
新政府が目指していたのは、日本を欧米列強に負けない近代国家にすることです。
それにはまず国民の教育が大事だと考え、「学制」が公布されました。
大学も各地にたくさん作られました。
一番古い大学は1877年に設立した「東京大学」です。
慶応大学の前身となる慶應義塾は維新期に設立されていますが、大学化したのは1920年のことです。

学制公布と同年、新橋横浜間に鉄道が開通します。
惇忠の兄いが場長を務めた富岡製糸場ができたのもこの年です。
文明開化ですね~。

★【1873年】徴兵令・地租改正

「人は涙(1873)流して徴兵令(地租改正)」
さあ翌年、徴兵令が発令されました。
平民にとっては負担が増えるもの、旧武士の士族にとっては特権を奪うものでした。
新政府は「近代的な軍隊」を作りたかったんですね~。

そして同年(近代は鬼のように覚える出来事があります・・・)、米から現金に税の形が変わりました。
「地租改正」ですね。
収入が安定するのは政府にとって助かりますが、不作の年でも豊作の年でも一定の税を納めるというのは農民にとっては大変なことです。
当然不満が高まり各地で一揆が起きました。

こんなところで第14回はおしまいです!
いや~濃い!
ペリー来航から始まりたった20年。
それなのにいつの時代よりも濃い中身&分量でした!

三大改革は流れが大事!

13回の範囲である江戸の3大改革。
誰が何やったを覚えるだけでも頭がパニックですよね。
でも大事なのは流れです!
3大改革はどれも「質素倹約」が掲げられ、締め付け政治でした。
それはなぜか。
どの時代もその少し前に締め付けなしの華やかな時代があり、大ききんが起こるなどして財政難になり、改革が必須となる!という流れです。

綱吉の政治(元禄文化が花開く)

享保の改革(質素倹約)

田沼政治(宝暦・天明文化が花開く)

天明の大ききん

寛政の改革(質素倹約)

徳川家斉の(将軍&大御所)時代(化政文化が花開く)

天保の大ききん

天保の改革(質素倹約)

享保の改革だけ、直前には大飢饉と呼ばれる飢饉はありませんでした(元禄時代は大火や地震、富士山の噴火はあり、かくちで飢饉はたくさん起きてますが)。
江戸の4大飢饉のうち、「享保の大ききん」だけ、享保の改革中に起きているので気を付けましょう。

贅沢な享楽時代(綱吉・田沼・家斉)は決して悪ではなく、なんとどれも文化が花開いているんですよね。
宝暦・天明文化は本科テキストでは省かれましたが、与謝蕪村や本居宣長などを生み出しています。
テキストにも載っていた『解体新書』はこの時のものですね。

享保の改革以降は、贅沢(&文化)⇒大飢饉⇒改革!の流れが2回来ています。
改革はこの流れとセットで覚えたいところです。
もちろん天保の改革は外国船やアヘン戦争も影響している内容であることもお忘れなく!

幕末期は小説や漫画で親しもう!

第14回は幕末から明治維新でしたね。
この時代は本当にたくさんの小説や漫画で描かれているので、エンタメと親しむことで流れや順番はばっちりになると思います。
現在の大河『青天を衝け』もとても勉強に役立っています。
他にも坂本龍馬もの、新選組もの、なんでもいいので親しめば、ばっちりになること請け合いです。
以前、おすすめの漫画はこちらでまとめてます↓
binbojuken2023.hatenablog.jp
小説だったら、司馬遼太郎と浅田次郎がおすすめです。

浅田次郎の新選組もの!

『壬生義士伝』

新選組から見た幕末~明治維新がよくわかります。
お話として一番面白くて好きです(*´▽`*)
小学生にはちょっと難しいかなあ。
漫画も出てるみたいです↓映画もすごくいいのですが、勉強するなら小説版かな~。

『一刀斎夢録』

『壬生義士伝』に出てくる斎藤一はとってもかっこいんですよ。
その斎藤を主人公にし、明治維新後から西南戦争にかけてが描かれます。
こちらもすごくおすすめです!
小学生は・・・読めるだろうか・・・。

司馬遼太郎の明治維新もの

『 翔ぶが如く』

司馬遼太郎は『燃えよ剣』などの新選組ものも人気ですが、敵役?の西郷&大久保を描いた作品です。
西南戦争へ向けての流れがよくわかります!
ちょっと長い(全10巻)が難点でしょうか。
受験生に「読みなよ」と気軽に進められませんね(;^ω^)
受験後かな・・・。

『坂の上の雲』

これまた有名作のこちら。
明治維新後から日露戦争までの流れがばっちりになりますよ!
おもしろいし!
ただ、やっぱり長い(;´Д`)
全8巻。
司馬遼太郎は長いのがネックです。

その他

『満天の花』

佐川光晴さんの本です。
外交から見た幕末期がとてもよくわかります。
主人公がオランダハーフの少女で、偉人たちと関わりまくるので、偉人達も覚えられますw
子供でも読めますし、1冊です!(分厚いけど)
桜子にすすめて見ているところです(*^^*)

『お姫様は「幕末・明治」をどう生きたのか』

こちらは小説ではないですが、お姫様が幕末や明治をどう生き抜いたのかについての本です。
篤姫や和宮など「お姫様」に焦点が当たっているので、小学生女子に受けるかもしれません。
「お殿様」バージョンもあるみたいです。

だんだん「地理」とも結びついてきた!

今までも多少ありましたが、5年生前期までにやっていた地理とかなりリンクする時代に突入しました。
今回の範囲にも、江戸末期の輸出入事情が入っていますよね。
これから近代化を進む日本。
ますます既に習った地理の分野と結びつけて考えることが増えるはずです(工業とかね!)。
ちゅりぷ子も桜子もそうですが、「歴史好き」は近現代が苦手なことが多いです。
なんか、近現代って地理や公民分野っぽくて好きじゃないんですよねw
ちょんまげ結って刀で戦してる時代の方が好きなんです。
そのため、歴史好きはこの先かなり苦しくなってきます。
ちゅりぷ子もそうでした。
※今現在のちゅりぷ子は近代史大好物です!!(大人になってからです)
桜子はどうなるのかな?
この後も頑張って!!

暗記用の本やドリルも使っていきたいです。

お風呂ポスターでの暗記も継続中!