貧乏だけど中学受験〜するのか2023〜

共働き中流家庭、子沢山。長女・桜子を中学受験させるか悩みつつ、奮闘する(予定)ブログです。3年生9月から日能研通塾中!

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【日能研5年生社会】15~16回の歴史ごろ覚え

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今日は浦和明の星の入試日ですね!
関東の精鋭女子たちが集結する入試。
桜子も一年後受験できるレベルに達していることを祈っています。
ああ、ほんとにあと1年なんだな・・・とか考えると震えてきますね(;´Д`)
そんなことより目の前のこと!
明日はいよいよ今年一発目の育成テストです。

今週末の育成テスト(15~16回)の歴史の範囲は、明治~昭和初期。
第15回は明治大正の政治について、第16回は日清戦争~太平洋戦争の近代の戦争です。

さて、今回も役立ちそうなごろ覚えをまとめてみました(一部本科テキストや栄冠に載っていないものも含まれています)。
長いんで、語呂覚えだけ拾って読んでください(;^ω^)
※あくまで日能研5年生歴史カリキュラムに準じています
前回の範囲はこちら↓
binbojuken2023.hatenablog.jp

第15回と第16回の出来事と年号ごろ覚え

第15回は明治から大正にかけての政治体制の移り変わりです。
第16回は近代(明治~大正)の戦争について。
回ごとに分けると順番が前後してしまうので今回は合わせて載せたいと思います。
テキストに年号が載っているもの、載っていないものどちらも載せてますので、暗記させるかどうかの判断はお任せします!

★【1873年】征韓論が退けられ、板垣退助と西郷隆盛が政府を去る(明治六年の政変)

「征韓論破れ、一派涙(1873)で下野する西郷(板垣)」
鎖国していた朝鮮を武力で開国させよう(征韓論)という西郷達に対し、岩倉使節団として洋行帰りの大久保利通&木戸孝允はまずは内政を優先すべきと反対します。
この征韓論に敗れた西郷隆盛と板垣退助は下野し、政府を去ります。
これを「明治六年の政変」と呼びます。
倒幕・明治政府樹立の立役者である西郷どんは意外にも早く表舞台から降りるんですよね~。

★【1874年】板垣退助らが政府に民選議院設立建白書を提出

「薩長ばかりはイヤ~ナシ(1874)でしょ、板垣退助」
薩長に牛耳られていた当時の政府(藩閥政治)に対し、民から選ばれた議員が政治をやるべきと国会開設を強く求めた板垣退助(土佐藩)。
これが板垣の代名詞ともいえる「自由民権運動」の幕開けでした。

★【1876年】廃刀令

「西南戦争の前年」で覚えておけばいいですね。
廃刀令は西南戦争の大きなきっかけの一つです。

★【1877年】西南戦争勃発

「一派なぁなぁ(1877)で負けた西郷、西南戦争」
征韓論に敗れ下野したもう一人の西郷隆盛の元へは、現政府に不満を抱えた士族たちが続々と集まっていました。
士族たちの不満のもとは、政府が次々と出した「徴兵令(1873)」や「廃刀令(1876)」といった武士たちの特権やアイデンティティーを奪う法令です。
西郷隆盛が本当のところどう考えていたのかわかりませんが、それらの人々を束ねて?担ぎ上げられて?挙兵。
これを西南戦争と呼びます。
皮肉なことに徴兵制度によって近代式に訓練されていた政府軍により鎮圧されてしまいます。
武士の世は本当に終わったんだと世に知らしめたことではないでしょうか。

征韓論で下野した西郷と板垣でしたが、ともに現政府に不満を抱きつつ、アプローチの仕方が大きく違いましたねえ。

★【1881年】国会開設の詔(同年、板垣退助が自由党を結成)

「いち早い(1881)開設を望む!国会開設の詔」
この年(明治十四年)、国会開設慎重派だった伊藤博文は国会開設派の大隈重信一派を明治政府から追放します。
これを明治十四年の政変とも呼びます。
この事件により、ますます巷では民権運動が盛んになります。
それを鎮めるために出されたのがこの「国会開設の詔」。
政府は1890年に国会を開くと約束しました。
これを受けて、板垣退助は自由党を結成します。

★【1882年】大隈重信が立憲改進党を結成(&板垣退助暗殺未遂事件)

「国会開設の詔の翌年」で覚えたらOKです
板垣の自由党に続いて、大隈重信が立憲改進党を結成します。
国会は多数決で決まるので、政党を作る必要があったからですね。

そして同年、あの有名な事件が起こります!
板垣退助暗殺未遂事件ですね。
刺されたときに言い放ったとされる「板垣死すとも自由は死せず」の言葉で有名です。
ちなみにこれを板垣退助の遺言的に思っている人も多いかもしれませんが、板垣はこの時死んでません。
暗殺未遂事件です。
この後も政治家として板垣は精力的に活動をつづけました。

★【1885年】内閣制度開始(伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任)

「冷奴(1885)大好き伊藤博文!」
どうかと思う覚え方ですけども(;^ω^)
この年、これまでの太政官制を改め、内閣制度が開始されました。
外務大臣、大蔵大臣、そして内閣総理大臣などが設けられました。
その初代総理大臣になったのが、当時の中心人物だった伊藤博文です。
本当に冷奴が好きだったかはわかりません。

★【1889年】大日本帝国憲法が発布(2月11日)

「いち早く(1889)出したよ大日本帝国憲法」
欧米諸国と肩を並べるのに必要なものの一つ、それはかの国たちがみんな持っていた「憲法」です。
近代国家と認められるためにも日本が憲法を持つことは急務でした。
伊藤博文は君主の力が強いドイツ(プロシア)の憲法をお手本にすることに。
そうして作られた憲法が大日本帝国憲法です。
発布されたのは1889年2月11日。
そう、建国記念日ですね!
この日は神武天皇の即位日とされ「紀元節」と呼ばれてきました。
天皇が日本に初めて憲法を与える日にふさわしいと考えたのでしょう。
ちなみに戦後作られた日本国憲法が発布された日が現在の「憲法記念日」ですね。

★【1890年】第1回衆議院議員総選挙⇒第1回帝国議会が開かれる

「日は暮れ(1890)総選挙、からの帝国議会」
1881年の「国会開設の詔」から約10年。
約束通り、第一回帝国議会が開かれました。
そのための初となる衆議院議員総選挙が同年行われ、初めて国民の代表者としての国会議員が選挙で選ばれました。
帝国議会はこの衆議院と皇族・華族、富裕層からなる貴族院の、二院制でした。

★【1894年】日清戦争勃発

「一発急所(1894)に!日清戦争」
日本の政治体制が整うや否やという頃に起こったのが、日清戦争です。
日本が韓国をめぐって清と対立、やがて戦争へと発展していきました。
舞台は日本でも中国でもなく朝鮮半島です。
この戦争で日本は勝ちました。

★【1895年】下関条約が結ばれる⇒三国干渉

「日清戦争の翌年」でOKです。
戦争の翌年、下関で講和会議が開かれました。
この時結ばれたのが下関条約です。
日本はリャオトン半島(遼東半島)、台湾といった土地を手に入れ、さらに3億円余りの賠償金も手に入れました。
戦争勝利のうま味を知ってしまったわけですね。
賠償金の一部は八幡製鉄所(1901年開業)の建設に充てられました。

ただ、勝った勝った万歳!で終わらなかったのが日清戦争です。
ロシアはヨーロッパ側への進出をあきらめ、この頃アジア進出、中でも清に目をつけていました。
下関条約が結ばれるとすぐ、フランスとドイツとともに、日本にリャオトン半島を返すように要求してきたのです。
これを三国干渉といいます。
三国に迫られ、日本は渋々リャオトン半島を返還。
代わりに賠償金を追加してもらいましたが、ロシアへの対抗心が広がりました。

★【1902年】日英同盟が結ばれる

「遠くをに(1902)らんで、日英同盟」
遠くってどこかって?もちろんロシアです。
やっぱりというかなんというか、ロシアは満州に進出し、リャオトン半島に軍事拠点(旅順)を置きました。
三国干渉の真の狙いはこれじゃん!という感じですね~。
ひとには返すように言って、それをぶんどる、うーん、ひどい国。
もちろん日本は南下するロシアが許せないし、脅威です。
一方のイギリスも、ロシアが勢力を伸ばすのは警戒しますし面白くありません。
そんな二国が手を結んだのが日英同盟です。
共通の敵・ロシアに対抗するためでした。

★【1904年】日露戦争勃発

「一つくれよ(1904)と日露戦争」
そんなこんなで、日本が1904年にロシアの軍事拠点の旅順を攻撃。
日露戦争の始まりです。
今度の戦場は満州と韓国です。
日本軍はロシア軍を破り、旅順や奉天を占領。
さらに日本海海戦ではロシアのバルチック艦隊を全滅させます。
イギリスのおかげで破竹の勢いで勝ち進んだ日本でしたが、早々に武器や弾薬が尽き、これ以上戦えない状態に。
スタミナないですね。
ところが一方のロシアも国内で革命が進んでいて、こっちもこっちで戦えない状態になりました。
そして講和します。

★【1905年】ポーツマス条約が結ばれる

「日露戦争の翌年」で覚えたらOK。
さて、どちらの国ももう戦争を続けるのは困難な状況になった日露戦争。
そんな時にアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領が仲立ちとなり、アメリカのポーツマスで講和会議が開かれます。
これがポーツマス条約です。
日本は樺太の南半分を手に入れ、リャオトン半島の南端と南満州鉄道の権利を譲られました。
しかし、期待していた賠償金を得ることはできませんでした。

増税に苦しんでいた国民はこれを受けて暴動をおこします。
有名なのが日比谷焼き打ち事件ですね。

★【1910年】韓国併合

「行くぞ!とお!(1910)韓国併合」
日露戦争後、日本は韓国と次々と日本に有利な条約を結んでいきます。
そんな中、朝鮮統監府がおかれ、初代統監に伊藤博文が就任します。
それらに反対する運動が韓国では盛んになり、1909年には伊藤博文が独立運動家の安重根により暗殺されてしまうのです。
それが逆に日本の態度を強硬なものとし、1910年にとうとう韓国併合条約が交わされ、韓国は日本の完全支配下となるのです。

★【1912年】明治天皇の崩御⇒大正時代スタート(同年清が滅亡)

「逝く人に(1912)告げよ、大正スタート(清滅亡)」
時代の変わり目の年号は覚えておきたいところです。
この年は色々起こった年でした。
まず明治天皇が崩御され、大正天皇が即位。
鬼滅の刃でおなじみ、大正時代の幕開けです。
また、隣国では大国・清が滅亡し、孫文らにより中華民国が建国されます。
また、第一次護憲運動が起こった年でもあります。

★【1914年】第一次世界大戦が勃発

「行く意思(1914)ないよ、第一次世界大戦」
オーストリアの皇太子夫妻が殺害されたことをきっかけに起こった世界最初の大戦です。
三国同盟を結んだドイツ、イタリア、オーストリアを中心とした同盟国とイギリス、フランス、ロシアの連合国が争いました。
途中でイタリアは連合国側に寝返り、また途中参戦のアメリカが連合国側についたのも、勝敗を分けました。
日本は日英同盟に基づき、連合国側として参戦。
主戦場はヨーロッパだったため、日本は輸出を大幅に伸ばし、国内は大戦景気に沸きました。
第一次世界大戦はおよそ4年半続きました。

★【1916年】吉野作造が民本主義を説く(大正デモクラシーがスタート)

「ひどく異論(1916)出る、吉野の民本主義」
日本が大戦景気に沸くさなか、東大博士の吉野作造が「民本主義」を唱えました。
民本主義とはいわゆる民主主義(デモクラシー)のことです。
しかし、欧米の唱える民主主義は主権が民にありましたが、日本では主権は天皇にありました。
そのため、主権は天皇にありつつも、民が政治の根本となる「民本主義」という独自の言葉を作って唱えたのです。
これがきっかけとなり、日本では大正デモクラシーが始まり、民衆がさまざまな運動を繰り広げるようになります。

★【1918年】米騒動勃発⇒原敬が内閣総理大臣に

「一揆イヤ(1918)だわ、米騒動」
第一次世界大戦が日本にもたらした好景気。
輸出が盛んになることで、農村部の人手が工業地帯へ流出しました。
また、大戦の長期化やシベリア出兵など見越して、米商人が米の買い占めに走り、そのため米価が暴騰。
ついに富山の漁村の主婦たちが、米の安売りを求めて立ち上がったのです。
これを米騒動と呼びます。

この運動は全国に波及し、責任を取って当時の寺内正毅内閣は同年辞任。
その後釜に座ったのが、立憲政友会の原敬でした。
日本で最初の衆議院出身の総理大臣でした。
原内閣は、ほとんどの閣僚を立憲政友会の党員から選びました。
日本初の政党内閣の誕生です。
ちなみに原敬はこの3年後、東京駅で暗殺されます。

★【1919年】ベルサイユ条約が結ばれる

「ベルサイユへ行く行く(1919)!!」
1914年に始まった第一次世界大戦は連合国側の勝利で幕を閉じました。
講和条約はフランスのベルサイユで結ばれました。
この条約で連合国側である日本は、中国の山東半島の権益を敗戦国であるドイツから引き継ぎ、また赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島の委任統治権を得ました。

★【1920年】国際連盟が設立

「ベルサイユ条約の翌年」で覚えたらOKです。
第一次世界大戦終結を受けて、平和を目的とした国際連盟が設立されました。
本拠地はスイスのジュネーブです。
発案者はアメリカのウィルソン大統領。
イギリス、フランス、イタリア、日本がまず加盟し、常任理事国になりました。
ややこしいのは、加盟国にアメリカが入っていないことです(;´Д`)
上院の反対で不参加となったアメリカ。
おかげで国際連盟はあまり影響力のない団体となりました・・・。
なんなんアメリカ。

★【1923年】関東大震災

「国民がひどくふさ(1923)いだ関東大震災」
1920年代、日本は戦後恐慌に見舞われていました。
大戦景気も終わり輸出が低迷したおかげで経済が低迷していたのです。
そこに追い打ちをかけるように起こったのが、この関東大震災でした。
この震災を受けて、日本は震災恐慌に見舞われました。
やがてこれが金融恐慌に発展していきました。

★【1925年】普通選挙・治安維持法が制定

「(普通選挙に)行く25(1925)才の男子たち」
加藤高明内閣の時、すべての25歳以上の男子に選挙権を与えるいわゆる「普通選挙」がスタート。
民意が政治に反映されやすくなった一方、同時に「治安維持法」も制定。
国への不満を言ったり、反対運動をしにくくなりました。
飴と鞭ですね~。

★【1926年】大正天皇の崩御⇒昭和時代スタート

「行くぞ風呂(1926)へ、昭和元年」
親世代である私たちは、西暦マイナス25が昭和の年号であると知っているかもしれません。
なので昭和がスタートしたのは1926年!とすぐにわかるのですが、子どもたちにはその知識ないですよね。
昭和がスタートしたのは1926年の暮れ(12月25日)でした。
昭和元年はたった一週間しかなかったわけです。
ちなみに昭和が終わったのは昭和64年の1月7日。
昭和64年もたった1週間だったのですね。
昭和元年生まれも昭和64年生まれもとーっても少ないはずです。

★【1929年】世界恐慌の発生

「ひどく憎(1929)らしい、世界恐慌」
金融恐慌にあえいでいた日本にさらなる追い打ちをかける事態が。
世界恐慌が始まったのです。
日本も影響を受け失業者が街にあふれかえりました。
ちょうど飢饉や凶作も重なり、「昭和恐慌」と呼ばれるように。
日本は戦後恐慌以来ずーっと恐慌状態でした(戦後恐慌⇒震災恐慌⇒金融恐慌⇒昭和恐慌)。
追い詰められた日本が向かった先は、中国侵攻でした。

★【1931年】満州事変

「人、臭い(1931)と言う満州事変」
日本軍は中国の柳条湖で(日本が所有権を持つ)南満州鉄道の線路を爆破し、乗っていた満州のドン・張作霖を爆殺します。
これが柳条湖事件や張作霖爆殺事件と呼ばれるものです。
日本軍はこれを中国の仕業であるとし、満州へ攻め込み、満州国を建国しました。
この一連の事件を満州事変と言います。
満州が、中国の領土が欲しかったんですね。
攻め込むきっかけを自作自演したというわけです。
当たり前ですが、この日本の卑劣な行為は世界的に批判されました。

★【1932年】五・一五事件

「戦に(1932)なるぞ、五・一五事件」
満州事変を皮切りに、日本国内では軍部への支持が高まり、発言権が強くなりました。
軍事政権を作ろうという機運が高まり、1932年5月15日、海軍の青年将校らが首相官邸を襲うという事件が発生。
当時の首相・犬養毅が暗殺されてしまいました。
力で政権交代を迫るなんて、なんて野蛮なんでしょうか(;´Д`)
これは政党内閣の時代の終わりを告げていたような事件です。

★【1933年】日本が国際連盟を脱退

「ひどく散々(1933)な目に遭う、国際連盟脱退」
明らかに怪しい満州事変に平和を目的とする国際連盟は黙っていませんでした。
リットン調査団を派遣し、事件を調べさせました。
その報告をもとに、満州国を認めず、日本の撤退を迫った国際連盟。
加盟国で常任理事国だった日本は、国際連盟を脱退することになったのです。
日本は国際社会から孤立していき、散々な目に遭う未来が待っています(自業自得ですが)。

★【1936年】二・二六事件

「ひどく寒(1936)いな、二・二六事件」
暴走を続ける日本、国内ではますます軍部が台頭し、勢力を強めていました。
そして起こったのが二・二六事件。
陸軍の青年将校たちが、首相官邸や警視庁を襲撃し、大臣たちを殺害したテロです。
これまた軍部政権の樹立を狙ったものでした。
軍内部でも皇道派と統制派の二派にわかれており、起こしたのは皇道派(天皇親政を目指す)の陸軍青年将校たちでした。
これにより皇道派は排除されました。
当時皇道派はソ連侵攻を狙っており、統制派は中国侵攻を狙っていました。
皇道派が排除されたため、日本は中国を標的に動いていくことになったのです。

★【1937年】盧溝橋事件⇒日中戦争スタート

「戦な(1937)がびく日中戦争」
満州を支配下に置いていた日本はこの年、北京郊外の盧溝橋へ侵入。
中国軍と激突します。
これを盧溝橋事件と呼びます。
これを皮切りに、長く泥沼のように続く日中戦争がスタートします。

★【1938年】国家総動員法が制定

「日中戦争開戦翌年」で覚えたらいいと思います。
中国は巨大な国ですし、中国のバックにはアメリカやイギリスがいます。
日本は戦争の長期化を予想し、国家総動員法を制定。
これにより、国民すべての人的物質的リソースを、国が(軍が)自由に使えるようにしたわけです。
今の感覚だと「勘弁してくれ」って感じですね。
ただメディアも「国民一丸となって戦わねばならない!」といった論調だったり、国策に反対する発言をするような国民への取り締まりを強化するなど、国民の意識をコントロールしていきました。

★【1939年】第二次世界大戦がスタート

「戦苦(1939)るしい、第二次世界大戦」
1939年、ドイツがポーランドへ侵攻。
それを受け、ポーランドの同盟国であったイギリスとフランスが、ドイツに宣戦布告。
こうして第二次世界大戦がスタートした。

★【1940年】日独伊三国軍事同盟

「第二次世界大戦開戦翌年or太平洋戦争開戦前年」で覚えたらいいと思います。
ドイツは快進撃を続け、この年パリを陥落。
それを受け、日本とイタリアはドイツと軍事同盟を結ぶことに。
独ソ不可侵条約を結んでいたソ連も、ポーランドの東部やフィンランドを侵略。
戦いはヨーロッパ全土に波及し、ドイツ・イタリアを含む同盟国と、イギリス・フランスを含む連合国による戦いへと発展していきました。

★【1941年】太平洋戦争スタート(12月8日)

「行くよ一発(1941)、真珠湾」
日中戦争開始を受け、アメリカ・イギリス・オランダは中国を援助し、日本へは石油などを輸出しない経済封鎖を行っていました。
日本に中国からの撤兵を迫る一方で、屑鉄の輸出をストップするなどの経済的な打撃を加え続けていたアメリカ。
最初は日本は外交で何とかしようと思っていましたがうまくいかず。
そんな中、10月に陸軍大将の東条英機が首相になりました。
国民は軍部出身の首相に期待する上、日中戦争も4年目に突入しここまでの日本側の損失も大きかったことから、戦争をやめるという決断はできませんでした。
そして12月8日、アメリカの海軍基地のある真珠湾へ奇襲攻撃を仕掛け、宣戦布告。
太平洋戦争がスタートしました。
開戦を決断した理由が「長期化すると物資の差で負ける。勝てるならまだ物資のある今しかない!」というもの。
浅はかですねえ。

★【1942年】ミッドウェー海戦の敗北(6月)

「太平洋戦争開戦の翌年」でOK。
開戦当初は東南アジアから南太平洋の広大な地域を占領した日本でしたが、開戦からわずか半年で、ミッドウェー海戦に敗北。
物資の不足も手伝って、そこからは負け続きとなりました。
アメリカなんかヨーロッパでも世界大戦やってたんですから、片手間の相手でしたでしょうね。

★【1943年】学徒出陣

「太平洋戦争開戦の翌々年」でOK。
兵隊になる人でも減って、とうとう大学生も出陣することに。
これを学徒出陣と呼びます。
朝ドラなんかではおなじみですね(´;ω;`)
未来を担う優秀な若者たちが次々と戦争の犠牲になっていきました。
英語が禁止になったり「欲しがりません勝つまでは」のころです。
本土空襲も始まり、学童疎開も始まりました。
いよいよ敗戦の気配が漂ってきました。

★【1945年】太平洋戦争の終戦(8月15日)

「ひどく汚(1945)れてポツダム宣言」
太平洋戦争の最後の年、1945年は年号だけでなく月や日付も暗記する必要があります。
以下は押さえておきましょう。

【3月】東京大空襲(名古屋、大阪、神戸なども)
【4月】アメリカ軍、沖縄上陸
【5月】ドイツが敗北宣言
【7月】ポツダム会談⇒ポツダム宣言発表⇒日本はこれを拒否
【8月6日】広島に原爆投下
【8月8日】ソ連、対日宣戦布告
【8月9日】長崎に原爆投下
【8月14日】御前会議でポツダム宣言受諾決定
【8月15日】終戦(玉音放送)

もっと早い段階でこの戦争はストップできなかったのか。
せめて7月のポツダム宣言はすぐに受け入れろよ、と思いますよね~。
おかげでソ連に攻め込まれてるし(ソ連もそのタイミングで参戦ってなんなん?と思いますが)。
終戦後もソ連は日本侵攻を続け、千島列島、国後島、歯舞群島などを占領していきます。
最もかわいそうなのは満州の人々。
関東軍は早めに撤退しており、現地には開拓民(しかも青年男性は兵隊にとられて不在)が取り残されます。
ソ連からも中国からも攻撃され続け、ほぼ半数の人が現地で亡くなりました。
中国の人からはそれまでの日本に対する恨みもあったのでしょうが、ソ連軍はここでもなんなん?という感じですね。
ポツダム宣言も受け入れていることもあり、民間人を殺さないように上からの指示はあったそうですが、現地のソ連軍はそれを無視してやりたい放題だったそうです。

とにかくこれをもって、満州事変から長きにわたる戦争状態が終了しました。

朝ドラや小説で戦時下の市民の様子を知るのも一つ

太平洋戦争はもはや朝ドラではおなじみのテーマです。
今の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」でも、戦争の気配が迫る街の様子、物資の不足、学徒出陣、英語の禁止など、歴史の通りに描かれていました。
桜子も歴史の理解がしやすかったのではないでしょうか。

幕末までは大河ドラマで、大正~昭和は朝ドラで学べるといいですね(*^^*)
今回の範囲は「青天を衝け」と「カムカム」がドンピシャでした。
低学年から朝ドラと大河は親しんでおくと良いかもしれません。

歴史小説以外にも、太平洋戦時下の庶民を描いた作品はたくさんあります。

先日桜子が読んでいたこちらもその一つ。これもおすすめ。
漫画ならやっぱりこれ↓特に女子は、戦争ものより、こういった戦時下の一庶民を描いた作品の方がハマる気がします。
朝ドラもそのノリですしね。

男子ならこれらもおすすめ。

個人的には満州や中国が出てくる作品が好き↓

エンタメで学ぶとすごーく理解が深まるんですよね~。
教科書読んでも、何年何戦争が起きました、何年何戦争が起きました、の連続になっちゃうんですよねこの時代特に。
できる限り楽しく学ばせたいところです。

余談ですが「鎌倉殿の13人」始まりましたね~!
親子で1年完走したいです(*^^*)
受験生って大河見る暇あるのかな?

歴史もそろそろ終わりですね

歴史も残すところ2回分になりました。
戦後昭和と現代、ですかね。
ちゅりぷ子が受験したころは、戦後は1回分ぐらいだった気がします。
まあ自分の年齢分学ぶ歴史は増えているし当たり前ですかね。
ここ近年の動きはかつてないほどの速さ目まぐるしさですし。

9月から始まった歴史、よくもまあこんな駆け足で半年足らずで戦後まで来ましたね。
ぜーんぜん知識が定着していない気配むんむんなので、6年生のスパイラルにも期待したいところです。

お風呂ポスターでの暗記も継続中!