ちゅりぷ子のもしかして中高W受験!?〜するのか2030〜

3姉弟受験伴走ブログ。長女・桜子は3年生9月から日能研に通塾し見事合格しました!次は次女・薫子、長男・楓丸の高校・中学W受験!?(2030年予定)

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なんか涙出てきた。『ネオ・ネグレクト ー外注される子どもたちー』の感想

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楓丸くん、毎朝の百ます計算のおかげで1桁のかけ算が鬼早になってきました!
継続は力なり!
(早期教育勢からみたらお話にならない低レベルで恐縮ですw)

さて、今日は中受沼界隈でも話題となった一冊の感想です。
※長文ですw

『ネオ・ネグレクト ー外注される子どもたちー』/矢野耕平


昨年の10月に発行されたこちらの新書を読みました!
「ネオ・ネグレクト」という言葉が少し前から中受沼界隈でも話題になっていたので気になっておりました。

著者:矢野耕平先生について

Amazonではこんな風に書かれています↓

1973年東京都生まれ。中学受験指導スタジオキャンパス代表・国語専科博耕房代表。

大手塾に13年間勤務したのちに、2007年中学受験指導スタジオキャンパスを創立。東京の自由が丘と三田に2教場を構える。指導担当教科は国語と社会。中学受験指導歴は2025年度で31年目を迎える。2児の父。

法政大学大学院人文科学研究科日本文学専攻修士課程修了。

現在は社会人大学院生として同大学大学院同研究科国際日本学インスティテュート日本文学専攻博士後期課程に在籍し、認知言語学、語用論などをベースに学齢児童の言語運用能力の研究に取り組んでいる。

矢野先生は中受界隈では有名な方です。
ちゅりぷ子もこれまでたくさん著作を読ませていただきました。
binbojuken2023.hatenablog.jp
binbojuken2023.hatenablog.jp
スタジオキャンパスという中学受験塾の現役の講師です。

その先生が書かれている社会への、世の子を持つ親たちへの問題提起といった内容の新書、めちゃくちゃ気になりました。
まさに中学受験をさせる親世代が読者ターゲットです。

目次

序章 「ネオ・ネグレクト」とは何か ――衣食住が満たされていても何かが足りない…「ネオ・ネグレクト」の定義とは。
第1章 東京湾岸タワマン地域の子どもたち ――都市の豊かさの陰で進む、子育て外注の実態。
第2章 次世代に引き継がれる心の傷 ――親の無関心が子どもの心に残す深い影響。
第3章 教育現場と「アウトソーシング」 ――塾や学校に“丸投げ”する子育てがもたらす弊害。
第4章 育児とネオ・ネグレクト ――幼少期からはじまる子育ての外注化の実態。
第5章 結局、誰が「悪者」なのか? ――親、学校、社会…問題の背景を社会問題として問い直す。
終章 ネオ・ネグレクト減少の筋道 ――子どもが健やかに育つために本当に必要なこととは。

こちらが目次です。
先生の勤めるスタジオキャンパスは自由が丘と三田に教場があるので、都内の話が多く出てきます。
特に湾岸タワマン住まいの家庭の話が多いのは土地柄でしょうねw

Amazonの紹介文↓

習い事漬け、塾のはしご、孤食、スマホ育児、SNS映え重視の子育て……。
衣食住は満ち足りていても、親が子どもに関心を持てない。
それが「ネオ・ネグレクト(新しい育児放棄)」です。

コスパ・タイパを優先し、“外部の専門家”に子育てを任せる親が増えている現代。
もちろんそこには多大なお金がかかります。
一見「恵まれた子育て」に見えますが、重要なものが欠けているようにも感じられます。

著者の矢野耕平氏は、中学受験指導の現場で30年以上子どもに向き合ってきました。
その豊富な経験と取材をもとに、家庭や学校で起きている実態を描き出し、
背景にある社会の歪み――効率至上主義、情報過多、自己責任論――に鋭く光をあてます。

「送迎バスで習い事はしご」「お金だけ渡して毎日孤食」
「受験は塾に丸投げ」「SNS映えのための子育て」……。
便利さや豊かさの影で欠けているのは、親が子どもへ向けるまなざしと親子の信頼関係です。

本書は、効率や課金では埋められない“子どもにとって本当に必要なもの”を問い直し、
親や社会がこれからどうあるべきかを考える指針となります。
現代子育ての新たな問題に向き合うための、すべての保護者・教育関係者必読の一冊。

よく耳にしてきた「ネグレクト」とはまた違った親の子供への「問題のある対応」のことが本書では詳しく書かれています。
一体先生の提起している「ネオ・ネグレクト」とは何なのか、何が原因でこれからどうしていけば良いのか。

乳児の頃から保育園に預けて働き、現在も小学生から中学生の子どもを3人持ち首都圏に住む母・ちゅりぷ子も色々と考えさせられました。
おそらくドンズバな読者ターゲット層の一人であると思います。

『ネオ・ネグレクト ー外注される子どもたちー』の中身と感想

それでは、ちゅりぷ子の感想です!
正直ですね、ちゅりぷ子自身は「ネオ・ネグレクト」には全く当てはまらなかったんですけど、すごく読んでいて辛かったです。

「ネオ・ネグレクト」の定義とその意義

まずは、「ネオ・ネグレクト」の定義についてですが、こちらは矢野先生の造語です。
文中では、

「衣食住に満ち足りた生活をしていても、親が我が子を直視することを忌避したり、わが子に興味関心を抱けなかったりする状態」、つまり新しい育児放棄である。

と述べられています。

詳しくは本を読んでいただきたいですが、いわゆる最低限のお世話をしない、食事を出さない、衛生状態を保ってあげないといった「ネグレクト」とは「ネオ」もつくだけあって全然違うんです。
ぱっと見は新しく清潔な服を着ている「普通の子」、習い事もたくさんさせてもらっているような一見「恵まれている子」。
富裕層にも見られる「育児放棄」だそうです。
どちらのネグレクトにも共通しているのは「子供に関心を抱かない」という点ですね。

びっくりするような事例が数多く挙げられていましたが、ちゅりぷ子自身はもちろん、周りに当てはまりそうな家庭は思いつきませんでした。
本書には冒頭に自分や周りの人の「ネオ・ネグレクト度」を測るチェックリストがついています。
診断結果は「安心」判定ではありましたし、周囲の家庭でも「やや危険」などに該当する家庭は考えつきませんでした。
自分はともかく、本当に「ネオ・ネグレクト」に該当する家庭は周囲から(特にママ友界隈から)孤立しているように思われるので、なかなかこのチェックリストで「あの人、ネオ・ネグレクトだ!」などと思い浮かばないだろうなと思いました。

そもそもこの本を読むような人の中に「私、ネオ・ネグレクトだわ」と思う人はまずいないと思います。
それは先生も述べられていましたが、こういった新しい言葉を世に出すことで問題を可視化し、社会に問いを投げかけ、いずれムーブメントとなり本人にも届くようになったらいいなとのことでした。

ネオ・ネグレクト親は、「わが子と接する時間を極力少なくしたい」と強く思っており、習い事やシッターなどで世話を外注してそれを叶えているといいます。
「ネオ・ネグレクト」は一見真逆とも思える「過干渉親」とも根底の部分は一緒だそうです。
どちらも「子どもを思い通りにしたい」と親が思っている点では一緒だからです。

「過干渉」の一つとも言える昨今話題の「教育虐待」も一緒ですね。
真逆の「ものすごく子どもへ関心がある」とも取れる行為が根底では一緒とは。
色々と考えさせられます。

ワーママなら読んでてモヤモヤすること必至

こっからちょっと辛口なんですけど、この本を読んでいてですね、自身は全く「ネオ・ネグレクト」に当てはまらないと冒頭のチェックリストからわかっておいてですね、不思議なんですけどね、

なんかずっと責められている気がするの

なんで?w
多くの働くママはみんな感じるんじゃないかな?
「ネグレクト」とかを扱った「虐待親のルポ」とか読んでいる時よりもずっと感じます。
全然他人事感を持てないというか、何というか。

ネオ・ネグレクトに該当する親の特徴の、要素のほんの一部一部に身に覚えがあるからなのかな?と思いました。

・延長保育も使って長時間子供を保育園や学童などに預ける
・子供の発熱などのせいで仕事を休むことになった際に「いなければこんなことにならないのに」と思った経験がある
・「(子供がいない)自由になりたい」と思ったことがある
・在宅ワーク中に子どもがいると「邪魔だな」と思ったことがある
・子連れで飲み会に参加したことがある
・夜の公園に子どもを「放牧」したことがある

こういった要素が自身にあるだけに、チクチクと心を刺されるのかもしれない。

もちろん「わが子に関心がない」「わが子と接する時間を極力少なくしたい」「思い通りにしたい」と思っているわけではないので、全く「ネオ・ネグレクト」状態ではありません。

でもなんだろう、

子どもともっと一緒にいる時間を作りなさい
子どものことを考える時間をもっと取りなさい
自分のことより子どものことがずっとずっと大事なはずでしょ?
母親なんだからもっと自分を犠牲にすべきではないの?

みたいなことを言われている気がずっとしましたw
本でそんなこと言っていませんよ、でも言われている気がなんかしたんですよ。

第4章は少しやりすぎ

第4章では近年の育児事情を列挙し、その問題点?について述べられているんです。
ここが一番読んでいてモヤモヤイライラ?しましたw
すごく乱暴にいうと

・最近の育児は「楽」を優先しすぎ
・「がんばらない」子育てってw
・最近の親は「自分のための育児」になってる

みたいなことが書かれておりまして、全ママが泣いとるで、みたいな内容ですw
バウンサーも縦抱き抱っこ紐も、親が「楽」や「スタイリッシュ」や「映え」を優先している有害物だとでも言わんばかりで閉口しました。

まあ確かに、ちゅりぷ子もベビービョルンのバウンサーに乗せて、エルゴの縦抱き抱っこ紐に入れて赤子育児しましたし、少し大きくなれば公共の場でうるさくしないようにスマホ見せて黙らせるなんて常套手段でしたよ。
それらを「頑張らない」「楽を優先」「自分のための」育児とか言われたら誰でもカチンとくるでしょう、っていう4章です。

こういった、「親中心・優先」の近年の育児事情や風潮が「ネオ・ネグレクト」親を生み出しているのではないか、という問題提起の部分なのですが、非常にモヤモヤしました。

みんな、髪を振り乱して小汚い格好で、便利グッズを使用することなく育児をせよと?
その上、働けと?あるいは働かずに子どもと家にいろと?

そんなふうに思ってしまうのは無理ないと思うの(T ^ T)

ちゅりぷ子は自分より後に子どもを産んだ人にはいつもこう言っています。

「無理は絶対ダメだよ。便利なものは何でも使うんだよ」
「自分のことを大事にしなきゃダメ」
「あるならお金で解決すればいいんだから」

こういうアドバイスは害悪だと言うのでしょうか?
昔はこれと真逆なことを母親に求め、世の母親は疲弊し追い詰められてきました。
そこから生まれた現象だと思うんですけど、元に戻せと?

「自分」を優先して何が悪いの?女子の呪い

女性は「母親」になった途端、自己犠牲が美徳とされがちです。
「子どもがいるくせに」「母親なんだから」「子どもを優先して当たり前」とよくよく言われがちです。
近年少しは変わってきましたが「父親」には言われないことをよく言われます(父親はまた別のことよく言われているのだと思います)。

最近は共働き家庭が普通となり、むしろ専業主婦家庭は珍しくなりました。
別の要因も大いにありますが、私たちの一世代前の母親たちが娘たちに言い聞かせたのもあると思います。

「私のようになるな。自分の力で生きていく力を身につけるのよ」

ちゅりぷ子もそうでした。
それで女子たちは努力の上にキャリアを築き、いざ子育てにも直面すると思うのです。

「両方全力は無理よ」

となるのは当然です。
仕方なくというか物理的に無理で、様々な「楽」をするための便利グッズを駆使し、保育や教育を「外注」することに。
その一方で、母が自分にしてくれたようなことをわが子にしてあげられないという、なんとも言えない「罪悪感」を抱え日々を過ごします。

もっと一緒にいてあげられたらよかったな
手作りのおやつとかもっと食べさせてあげたいな
「おかえり」って毎日言ってあげたい
今日も夕飯を出来合いのものにしちゃった
長期休み、毎日朝から晩まで学童保育で申し訳ない

などなど。
そんな罪悪感と闘いながら仕事に育児に頑張るママたちに「最近の親は自分優先な人が多くて困る」とか言わないであげてほしい。
そのママたちはその母親たちから「私たちみたいになるな。自分優先で生きろ」と言われて育ってきたんですよ。

こういうジレンマを抱えながらの育児は私たち世代が最後で、子どもたち世代ではなくなるのでしょうか?
両親共働きでいつも忙しくしている母のもとで育った娘はどういう気持ちで育児をするのでしょうか。
その状態が普通だから、普通にそれをやるのでしょうか。
あるいは嫌だったから自分はそうはならないと、仕事をセーブし育児に全力で向き合うのでしょうか。

「女子の呪い」は世代交代で解けるものなのでしょうか?

育児とタイパ・コスパ

「育児にタイパやコスパを求めるのは間違っている」的なことが本には書かれています。
確かに、別の教育学者だったか経済学者だったかの人も言っていた気がします。

「子育ては『お金』だけ投資してもダメ。『時間』も投資するべき」

的なことを。
学力の高い子どもを育てるには?的な質問へのアンサーだったかもしれません。
似たようなことがこの本でも書かれており、お金だけかけて「ネオ・ネグレクト」する親への問題提起となっているんです。
「子育てとはタイパコスパが非常に悪いこと」だともっと自覚せよと。

「子どもとしっかり時間をとって向き合うことが子どもをよりよく育てられる」これはきっとどの親も心の底ではわかっていることです。

でもしっかり向き合う時間が取れない時は?
ずっと自分の時間を犠牲にしてまで子どもに向き合うのが最適解なの?

こんな疑問が湧いてきます。

世の中的には、働く母親(父親)の負担を減らそうと色々と動きを見せていると本書では書かれています。
でもそれはどちらかというと、もっと子どもを長時間預かってあげますとか、子どもを安く預かりますとか、育児の一部を肩代わりしますといったことが多いそうです。
確かにちょっと前に、小学校の開門時間を早めるとか、小学校で朝ごはんとか、早朝学童とかの話題を耳にしました。
朝早くから働く親のための施策ですよね。
矢野先生曰く、それは「ネオ・ネグレクト」的には逆効果だと。
親たちから子どもとの時間をもっと取り上げることになりかねないと言っています。

この点もジレンマですよね。
世の中的にはもっと母親たちにしっかり働いてほしい。
母親たちの懸念点を払拭すればもっと働いてもらえるだろうとの思いで色々と手を尽くすわけです。
確かにそれで救われる点はたくさんあると思います。
でもある意味で「ここまでしてあげてるんだからもっと働いてよ」という声に母親たちは追い込まれるのではないか?
ひいてはそれが子どもたちとの時間を奪い、よくない影響になっていくのではないか、と。

色々な背景、社会構造が絡み合って「ネオ・ネグレクト」が生まれ、その被害は最も弱い立場の子どもに向かっている、という主張でした。

子どもにとっての親は「世界」

なんか読んでいて涙が出てきたのは、本書の最後の方に書かれていることからでした。
子どもにとって親からの影響は計り知れない大きさだと書いてあり、

子どもにとって、親は「世界」そのものなのだ。

という一文でじんわりと視界がぼやけました。
一体何の涙なのでしょう。
子どもの健気さや純粋さに泣けてきたのかもしれませんし、自分の至らなさに泣けてきたのかもしれません。

でも、読んで思ったのは「もっと子どもたちと向き合おう。時間を取ろう」ということでした。

なんか矢野先生の意見や本の内容に反発を抱くことも多くありましたが、結果として、私をまた一歩「ネオ・ネグレクト」親から遠ざけてくれたのかもしれません。

少子化も進むよな

この本の意義は、「ネオ・ネグレクト」という事象の問題提起であり、解決策は書かれていません。
読者一人一人がこの問題を自覚し、目を背けずにいるということが、将来的に解決へと導くのかもしれません。

「ネオ・ネグレクト」という事象を軸に色々と考えていっても、男女の格差だとか性的役割だとか、日本の経済的衰退だとか、自由主義、消費主義、自己責任論・・・色々と社会や社会構造的な問題が炙り出されてきます。

それらを踏まえて思うんですよね。

少子化も進むはずだよな

と。

育てづらいですもん。
育てるの大変ですもん。
子どもいたら働きづらいですもん。
子ども連れていたら肩身狭いですもん。

そりゃリスクしか目に入らなくて、みんな産まないよね。
昔よりももっとタイパコスパが求められる昨今、誰がこんな苦行(に見えること)をお金と時間を割いて(リターンは無しに見える)やろうと思うのでしょうか。

せめて産んだ人たちが少しでも安らかに日々が送れるようにと、同志としては願わずにはおれません。
バリバリ働こうと、子どもを長時間預けたり習い事を詰めて「外注」することを簡単に「ネオ・ネグレクト」と呼ばれませんように。
問題提起することで当事者が自覚したり、予備軍の予防になるのは良いですが、軽々しく「ネオ・ネグレクトじゃんw」とか言われるママが増えませんように。
そう願って止みません。

なんかめちゃくちゃ長くなった上に、一部批判的なことも書いてしまいましたが、読む価値のある一冊でした!
子育て中の親、みんなに読んでほしいです。
そんでもって一緒に途中イライラしつつ、最後にうっかり泣いてほしいと思いましたw

矢野先生のこの本↓も気になってます!