前々回の続きで、私ちゅりぷ子の中学受験の話です。
今回は、年中で始めた公文式の続き、小学校低学年の様子です。
前回はこちら↓
binbojuken2023.hatenablog.jp
幼児の頃、公文の進みが悪かった理由
社宅のお友達と通っていた公文。ダントツで進みが悪かったちゅりぷ子ですが、決してアホだったわけではありません。
でも、とんでもなく不器用でした。
運筆も文字を書くのも壊滅的にできませんでした。
幼児の頃に公文式がよくできる(進みが早い)のって、多分に器用さが関係してくると思います。
まあ指先の器用さは、頭の良さにも関連してくるのかもしれませんけど(^_^;)
2ヶ月足らずでちゅりぷ子を抜かしたAちゃん、ものすごーく器用な子でした。また、要領のいい、しっかり者(年の近い妹がいました)。
不器用かつ当時マイペース一人っ子だったちゅりぷ子がかなうはずもなかったのです。
小学生になって転室
小学校に上がった頃から、ちゅりぷ子もメキメキと進度を上げていきました。
さすがに一年生にもなれば、はみ出したりせずに書くことができるようになったので。
普通の子並には進むようになったのです。
また、小学校入学と同時に社宅を出た我が家。
公文の教室も変わりました。
母も社宅仲間と比べることがなくなってほっとしたんじゃないかな?
ちゅりぷ子的にはスパルタだった前の教室と比べて、おっとりとした緩やかな教室に変わって安堵したことを覚えています。
公文式って教室によって雰囲気も中身も全然違います。
子供を入れるなら、複数の教室見るべきですね。
公文の宿題が大嫌いだった
幼児期の公文の記憶はほぼないんですが、小学校上がってからの公文の記憶は結構はっきりしています。
まず国語、書写?が大嫌いでした。
まるまる文章写すやつです。
ただただ一言一句間違わずに書き写すだけのやつ。
もう面白くないわ苦痛だわで、何度も何度も母に「やめたい」と言いました。
今でも国語は意味なかったのでは?と思っています(^_^;)
算数、何度も何度も同じ問題を解くのが嫌でした。苦痛でした。
そして事件が起こります。
カンニング事件
ちゅりぷ子は1年生の頃から、二階の子供部屋に置いてもらった学習机で勉強しておりました。
公文の宿題もそこで1人でしてました。
公文の宿題には解答はついていません。ただ、何度も何度も同じプリントが宿題に出されます。
この解いたことのある問題を何度も解くという作業が苦痛でたまらなかったちゅりぷ子。母の目の届かないところで宿題していたため、魔がさしてしまいました。
昔の宿題プリントを見て、答え丸写ししてました( ´_ゝ`)
いつだったかバレてこっぴどく叱られたこと、よく覚えてます。
今では主流ですが、やっぱりリビング学習って大事ですね。
そして、公文の過去プリントは親が管理しておくのがいいと思います。
ちゅりぷ子のような、不真面目な児童はどこにでもいますからね( ´_ゝ`)
3年生ぐらいから頭角を現したちゅりぷ子
不真面目なりに公文を続けていたおかげなのか、パッとしなかったちゅりぷ子も、三年生になる頃には、小学校でよくできるほうになっていました。
公文の算数は、小学校中学年くらいまではとても有効に働く気がします。
九九も割り算も少数も分数も、小学校でやる頃には、しつこく問題を解かされており、マスターしきっているからです。
現在、桜子のクラスでも、算数ができる子というのは、もれなく公文か算盤に通ってます。
まあ、それもこれも、あの地味な繰り返しに耐えられたらだと思いますが。
3年生いっぱいでやめた公文式
ちゅりぷ子は、繰り返しと書写が嫌いすぎて、3年生いっぱいで公文式を辞めさせてもらいました(^_^;)
最終的に一二学年上をしていたぐらいだったと思います。
でも、中学受験にはそれで十分役立ちました。
前にも書きましたが、計算がとにかく速くて正確です。
やめてすぐは、5年も通った公文式、何の役に立ったのか、といった感じでしたが、長じるにつれ実感しました。
この計算力は財産になったなぁ、と。
「低学年まで公文式」はいい選択
桜子は通塾始めてしまったので、もう遅いのですが、低学年までで何か習い事させるなら、公文の算数はいい気がします。
現在桜子、計算が遅くて苦労しています。
克服するまで、この問題はいつまでも付き纏います。
薫子や楓丸には公文、考えようかなぁ。
さて、ちゅりぷ子の中学受験、次回は三年生から始まった「スパルタパパ塾」についてです。乞うご期待!
スパルタパパ塾の様子はこちら↓
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